M.M 車輪の国、向日葵の少女


<あらゆる要素が高レベルでまとまった意欲作>

 この「車輪の国、向日葵の少女」というゲーム、2005年に発表されそれからシナリオの良さと泣きの要素が素晴らしいという事で瞬く間に人気になった作品です。制作した「あかべぇそふとつぅ」はこれまで同人活動でサウンドノベルを出してきましたが、この作品で一躍一流企業の仲間入りを果たしました。私もそんな要素を期待してプレイした訳ですが、なるほど、これは見事な作品だったと思います。

 この「車輪の国、向日葵の少女」の特徴として、やはりその特殊な世界観が挙げられると思います。現在の日本の司法とは違う、あらゆる罪に対応したあらゆる罰がある世界です。そして、そんな罰を背負った被更正人を更正する特別高等人の存在です。非常に面白く魅力的な世界観だと思います。これまでそれなりに多くのサウンドノベルをプレイしてきた私ですが、突飛な設定でありながらここまで良く考えられたものはなかなか無かったです。そういう意味で、普通の学園物や泣きゲーと比較して非常に意欲的な作品だという事が出来ると思います。

 そして、この意欲的な世界観を非常に良く表現していました。具体的には、音楽、絵、背景、キャラクター、システム、と上げればキリがないのですが、とにかくありとあらゆる要素が高レベルにまとまっていました。まず音楽ですが、使いどころがうまいですね。特別痺れるような名曲でなくてもシナリオと連動して上手くプレイヤーの涙を誘ってくれます。次に絵、背景ですが、有葉の描くキャラクターは立ち絵もCGも全て非常に表情が豊かですね。その時その時の心情がよく分かる絵の描き方だと思いました。そして何よりも素晴らしかったのはキャラクターですね。特に作品中のキーパーソンである通称「とっつぁん」ですが、このキャラクターのパーソナリティがこの物語の全てを握っているといっても言い過ぎではありません。これはシナリオ上という事ではありません、作品の雰囲気という事でです。様々な罰のある世界、そしてそれを統括する特別高等人がいる世界、この特殊な世界観をちゃんとプレイヤーに伝えるために非常に良い役割を演じています。

 そして肝心のシナリオですが、見事ですね。上で書いたあらゆる要素が全て一つに繋がる感じでマッチングしており、完全にプレイヤーを泣かせる事を考えています。これはズルいと言ってもいいくらいです。非常に作品全体の流れを世界観を考えて作られた作品だと思います。泣きゲーを期待している方ならやって後悔はしないと思います。

 とにかくありとあらゆる要素が高レベルにまとまっており、それを余すことなく感動につなげている意欲作です。さすが、数あるサウンドノベルの中でもトップクラスの人気を誇っているだけのことはあります。シナリオ展開も分かりやすいし、所要時間も一般的なものです。向日葵は夏の花です。是非、夏に時間を見つけてプレイする事をオススメします。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<考えて、納得して生きていますか?>

 上でも述べたとおり、このゲームは確かに泣きゲーと呼べると思います。ですが、最終的にこのゲームが言いたかった事は、


第一章より:「自分の義務に納得しているのか?」
第五章より:「考えてほしい。浮かんだ疑問をうやむやにしないで欲しい。」


これに尽きると思います。

 とにかくこのゲームは色々と驚くべき要素が盛り沢山でした。各章ごとの上げては落とし、また上げては落とすという絶妙なシナリオ展開。姉である璃々子の伏線。とっつぁんの一動一挙。もうどれをとっても過去に例がないくらいの素晴らしさを持っていたと思いますが、これらも結局は全てこの作品のテーマである「考えて、納得して生きていますか?」を表現するための道具でしかなかった訳です。

 第一章で各ヒロインは確かに自分の義務に納得していると答えました。しかし、実際は納得していなかった事がのちのシナリオ展開で分かる訳です。そして、それがヒロイン達を苦しめる事になります。だからこそヒロイン達の義務が解消されるためには、各ヒロインが自分で考えて、自分で納得する事が大事になっていた訳です。まなを助けたい、みんな幸せに暮らしたい、ケンちゃんが好き、最終的に自分が納得した事を主張し、自分で行動できたからこそヒロイン達は義務を解消できたのだと思います。

 そして、こうやって自分で考えて自分で行動した姿が真っ直ぐだったからこそこのゲームは泣きゲーになれたのだと思います。結局のところ、泣くという事は心が震えるという事です。そして、今回心が震えたのはヒロイン達の行動に共振したからです。よく聞く話に「死ぬから感動する」というのもありますが、これは登場人物が死ぬ事が自分の身に起こったと想像した時の恐怖や、かわいそうに起因する感動だと思うのですが、それとこの車輪の国、向日葵の少女での感動は全く違うものです。人間の心理、それをこの特殊な世界観で見事に表現した作品だったと思います。

 そして、このヒロイン達の心の震えはそのままプレイヤーだけに留まらず、最後には町の住人全体にまで広がっていきました。確かにこの町は不幸な歴史を歩んできたのかも知れません。ですが、この不幸という考え方もある意味納得していない証拠です。事実、過去に町の住人は樋口三郎と共に一度は納得して政府には向かった訳です。その結果確かに愛する人を失ったり、罰を着せられたりと不幸になったかも知れません。それでもその時の思いは本物でした。だからこそ、第五章の璃々子の言葉に町の人全員の心が震えた訳です。

 さて、ここで問いたい事は、自分達が今の生活について考え、納得しているのかという事です。現在の日本の社会情勢、政治、経済、身近なところで人間関係、仕事の雰囲気、日々の生活、これらについて考え、納得しているかという事です。毎日を無為に過ごしていませんか?やりたい事を我慢していませんか?必要な時に声を上げていますか?おそらくは、こんな事をこの作品は伝えたかったのだろうと思います。


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 では改めて問おう。
 あなたはこのシナリオに本当に納得しているのか?感動したのか?名作だと思っているのか?
 私はそうは思っていない。
 なぜなら、シナリオ展開を重要視する余りヒロインのパーソナリティが崩壊しているからである。
 三ッ廣は確かにまなを思って絵を描き上げようとした。
 しかしもともと怠け癖がついて直ぐに森田にすがろうとした三ッ廣に、あれだけの心変りが可能だろうか。
 またあのあと途中で投げ出さないかと思わなかったのか?
 なにか違和感を感じなかったか?
 大音もそうだ。
 最後まで自分出来決める事も出来ず、結局自分の責任を京子に決めさせた。
 そんな大音が、あの最悪の食卓で京子に逆らう気持ちを持てると思うか?
 あれだけの決意を持てるだろうか?
 なにか違和感を感じなかったか?
 日向に至っては、最初から絶望していたではないか。
 一度はクラスメイトを信じたが、それでもどこか遠慮勝ちだった。
 ましてや、その後両親の死を聞かされて死のうとしていたではないか。
 その後あれだけの拷問を受けて、どうしてあんな笑顔を見せられるのだ?
 なにか違和感を感じなかったか?
 そうだ。
 これは、シナリオの展開にキャラクターのパーソナリティが犠牲になったのだ。
 あの段階で落として持ち上げる事が泣きゲーにつながるのだ。
 果たして、そんなシナリオに本当に価値などあるのだろうか。
 パーソナリティが歪んだシナリオに意味があるのだろうか?
 あの演出だけで本当に泣きゲーと言えるだろうか?
 あの演出をただ受け入れて評価すればいいのだろうか?
 そして、世間で言われるように名作だと口を揃えればいいのか?
 世の中の風潮に流されてはいないか?




 あなたは、このゲームのシナリオについて本当に考えて納得していますか?


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