M.M Narcissu SIDE2nd


<相変わらずの想像性へのこだわりと、新しいテーマ>

 この「Narcissu SIDE2nd」というゲーム、名前からも想像できる通り前作である「Narcissu」の続編として発表された物であり、シナリオライターも前作と同様「ねこねこソフト」で活躍していた「片岡とも」さんです。前作である「Narcissu」が私の中で思いのほか好評だった事と、なかなかゲームする時間が無い今の生活の中、こういった非常に短い時間でプレイ出来るゲームは貴重であり魅力的だったので、一気にプレイしてみました。結果から言いますと、前作「Narcissu」を包み込むくらい上手く仕上がった作品だったと思います。

 前作「Narcissu」の大きな特徴として、プレイヤーの想像性というものを十分に意識しているということがありましたが、この点に関しては今回も十分に引き継がれていると思いました。ですが、今回はイラストに「ごとP」さんを起用した事、主題歌と挿入歌に「eufonius」を起用した事、デモムービーを用意した事などから、前作よりは明らかに情報量が多かったなあという印象も同時にありました(それでも一般のゲームよりは遥かに少ない事には変わりはありません)。まあ、片岡ともさんが「前作のNarcissuを『骨』とすると、今回のNarcissu SIDE2ndは『肉』に値する」と言っていました通り、内容は前作よりなかなか多かったですので、前作ほどの情報量ではプレイヤーに対しては足りなかったのだろうと思います。私自身、決してこの想像性というコンセプトに反していると思いませんでしたし、伝えたい事は十分伝わったのでそんなに問題ではありませんでした。

 そしてその『肉』にあたるシナリオですが、前作に登場したヒロイン「セツミ」の過去の話が主軸になっています。オフォシャルホームページでも紹介されていますが、メインヒロインは「セツミ」よりもむしろセツミ視点で登場する「姫子」というヒロインの方がメインに思えましたね。それだけ彼女のセツミに与えた印象は大きく、前作である「Narcissu」を補完する物として居なくてはならない存在だったと思います。

 そして、前作の「Narcissu」ではほとんどなかった「人と人とのふれあい」が、今作である「Narcissu SIDE2nd」にはありました。それが故に、この「Narcissu SIDE2nd」が持つテーマは明らかに前作の物とは違います。もし、前作をやった人が「どうせ今回も似たような感じだろう。」と思ってやればそれまでの作品になりますが、シナリオの裏に隠されたテーマを探ろうとすれば、前作とは全く違った印象を受ける事になると思います。もともと2〜3時間で終わる事が使用のゲームですので、たまにはゆっくりと文章を読んで気長にやってみるのも良いのではないでしょうか。

 ちなみに、この「Narcissu SIDE2nd」はオフィシャルホームページで無料でダウンロード出来るわけですが、一緒に前作である「Narcissu」も入っています。こちらは1〜2時間で終わる事が使用ですので、2つあわせても5時間で終わる計算です。時間に追われている方、是非ともプレイしてみては如何でしょうか。あとプレイする順番ですが、時系列的に「2→1」が正しいのでしょうけど、先に「Narcissu SIDE2nd」をやると「Narcissu」の更なる情報量の少なさにビビルかもしれませんので、私としては「1→2」がオススメです。


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<人と人とが「触れ合う」という事>

 このゲームを終えて思ったことは、立場の違う人間は本当の意味で関わりあえるのだろうかという事でした。

 かつて「姫子」は一人の少女とヘルパーとして接してきました。ですが、最終的に姫子は「7Fの住人」と「そうでない自分」との立場の違い、本編の言葉を使いますと「ネロ」と「アロア」の立場の違いで悩み苦しむ事になります。それはおそらく、自分が敬虔なカトリックであった事も関係しているのでしょうけど、何よりも本当の意味で少女と一緒に慣れないという事を悟った事が辛かったのだろうと思います。そういった経験をしたからこそ、自分が「7Fの住人」になってしまった時、友人である「優花」を突き放すような事をしたのだと思います。それは同時に、当時自分が味わった経験を優花や千尋に味合わせたくないという気持ちからも来ていると思います。

 しかし、それでも姫子は人との関わりを持ち続けたいと思っていました。だからこそ姫子は「セツミ」という少女と触れ合おうとするわけです。ここで重要なのは、セツミがそれまで全く赤の他人だったという事と、セツミが「穴に落ちるか落ちないか瀬戸際」だったという事です。もしセツミが全く健康で「普通の」生活をしている少女だったり、逆に「7Fの住人」だったりしたら、おそらく姫子は声をかけなかったろうと思います。そして姫子はそこに、以前出来なかった少女とのふれあいの日々をセツミを通して試そうとしたのかもしれません。パイナップルを試すとか空に近づくとか、かつて少女がやっていた事を繰り返している当りにそんな嫌いを感じます。

 ですが、最後に富士山に登ったときに姫子もセツミも泣きました。それは、結局のところ立場の違う自分達が本当の意味で「触れ合う」ことが出来なかったことを意味しているからです。ただ、この時の「泣く」という意味はそれだけではなかった様な気がします。本当の意味で触れ合う事が出来なかった事と、その事を「悔しい」と思う気持ちが重なって、それが「泣く」という事に繋がったのだろうと思います。そして、そこに姫子はある意味を見出しました。それが「7Fの住人になっても、友達は作った方が良い」です。

 姫子が本当に生を全う出来たかどうかは分かりません。ですが、限られた時間の中でかつての少女が行った事を自ら繰り返し、その対象がセツミであったことは本当に幸運だったと思います。結局のところ「7Fの住人」の気持ちはなってみないと分からないという事もこの作品の結論ですが、それでも人と「触れ合おう」とすることには意味がある。この作品のテーマはまさしくこれだと思いました。


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以下は更なるネタバレです。
「CROSS†CHANNEL」をプレイし終え、私のネタバレレビューを読んだ方のみサポートしています。
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<「ネロ」と「アロア」は、本当に心を「X」出来るのか>

 このゲームを終えて思い出したゲームがあります。それが「CROSS†CHANNEL」です。

 「CROSS†CHANNEL」のテーマとして私が思った事は「人と人は重なり合う事はできない。それでもなお人は交差を求めようとする」と、「『†』より『X』」の二つです。これは田中ロミオが「CROSS†CHANNEL」を通して人間関係を築く上での自分なりのメッセージを表現したものですが、この「Narcissu SIDE2nd」を終えてこの作品のテーマを考えた時、どうしてもこの「CROSS†CHANNEL」とのズレが気になって仕方がありませんでした。

 黒須太一が最後に自分一人になろうと決断した理由、それは自分が人と触れ合おうとしてもそれは「†」にしかならないと悟り、人と「X」するために一人になったのだろうと思います。そこには悲しみこそありますが、黒須太一が未来に向かって新しい一歩を踏み出したという前向きな解釈も出来ると思います。

 ですが、この「Narcissu SIDE2nd」での「ネロ」と「アロア」の関係は、そういった黒須太一がやろうとした事を頭から否定しているようにしか思えません。姫子は「7Fの住人」である少女と触れ合おうとしました。ですが本当の意味で触れ合う事は出来ないと悟ります。ですが、その後自らが「7Fの住人」になったことで、本当に「7Fの住人」は触れ合う事ができないのかという事をセツミを通して試すわけです。と、ここまでは黒須太一がやってきた事と繋がる物がありますが、その先に待っていたことは、「結局『7Fの住民』の気持ちにはなってみないと分からない。それでも触れ合おうとする事には意味がある」という物で、「CROSS†CHANNEL」風に言うと「結果『†』である事は仕方がない」となると思います。これは間違いなく黒須太一がやった事の真逆の事だと思います。

 ですが、今回は状況が状況だけにこれだけで終わらせられない点があります。それは「7Fの住人」が「死」と隣り合わせであるとい事です。つまり、「CROSS†CHANNEL」での「人と人は重なり合う事はできない。」というテーマですが、「Narcissu SIDE2nd」ではこの重なるまでの隔たりがあまりにも大きい(死を引き合いに出している)ので、実は田中ロミオの言いたい事は「死」という状況に対しては適応できないのではないかということです。

 なので私は思いました。それは「『ネロ』と『アロア』は、本当に心を『X』出来るのか」という事です。ですが、結局のところ「7Fの住人」の気持ちはなってみないと分からないと言う主張を認めるなら、この事を確かめ合うのは一生出来ないと思います。自分が「7Fの住人」になってしまったら、もう健康な自分には戻れないからです。

 つまるところ、私の中では「田中ロミオ」と「片岡とも」が言いたい事を一貫させたかっただけかもしれません。ですが、元々違うライターの思想を一貫させようとする事自体意味がないことですし、比べる事すらナンセンスです。でも、今回「Narcissu SIDE2nd」をプレイして、このような形で「CROSS†CHANNEL」と比べたくなった訳です。人と人との関わり方を描いたシナリオには全て味があります。私がこのような事を雄弁に語るには、まだまだ時間と経験が足りないようですね。


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