M.M J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜 Episode:Ave Maria 〜アルファベット・チルドレン〜


 この「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜 Episode:Ave Maria 〜アルファベット・チルドレン〜」は本作である「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」の追加シナリオとなっております。その為レビューには「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」を含めたネタバレが含まれていますので、「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」のネタバレを避けたい方は避難して下さい。「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」のレビューはこちらからどうぞ。

※このレビューにはネタバレしかありません。本作と追加シナリオの両方をプレイした方のみサポートしております。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。





















































































<どんな世界であろうとも、人は人と関わらないと生きてはいけないんですね>

 私にとってかなり衝撃的な展開であった「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜(以下J.Q.V)」の追加シナリオという事で非常に楽しみであり同時に怖くもあったこの「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜 Episode:Ave Maria 〜アルファベット・チルドレン〜(以下Ave Maria)」でしたが、全く妥協することなく書きたいことを書き切ったシナリオだと思いました。人は人と関わらないと生きていけない、そんな単純であり重い命題を終末世界で表現したJ.Q.Vでしたが、:Ave MariaはJ.Q.Vの終末世界程度では生ぬるい五次元世界を舞台にして上記の命題を表現した作品であったと思っております。

 五次元世界は完全に主人公1人しかいない世界でした。そんな世界でも主人公は再び元の世界へ戻る為に持ち前の頭の良さを使って探索と実験を繰り返しました。そうした中で観測した自分の姉妹たち、アルファベット・チルドレンと名付けられた彼女らは主人公の人間性の象徴だったんですね。途中主人公は自分自身を化物だと言っていましたが、人は人である限り化物になることは出来ません。そしてそんな単純な事実を証明したのが自分自身の心とアルファベット・チルドレンであった訳です。どんなにルーチンワークの様にアルファベット・チルドレンを殺して自分が人の心を失ったかのように思っても、ゴースト化現象で終末世界とシンクロしたり過去に助けを求めた芽衣の姿を見た時にそんな思い込みはあっさりと消え去りましたからね。

 M理論という新しい理論が登場しました。そしてM理論の中で人の心とシンクロするエム粒子の存在が語られていました。まさにこのエム粒子が動き主人公にゴースト化現象が起こる事実こそが主人公が人である証拠であると思いました。心が動く、人ではない動物や化物にそんな事はありません。そしてそんなエム粒子とのシンクロは主人公が年を重ねていった後半になって初めて姿を現しました。初めてアルファベット・チルドレンを殺して自分が化物だと思った主人公、そんな生活をルーチンワークの様にこなしていた主人公に何故ゴースト化現象が起きたのでしょう。思うに、主人公とアルファベット・チルドレンとの心のバランスがあったのではないかと個人的には思っています。

 主人公が年齢を重ねるにつれて徐々に人と関わりたいという思いを強くしていくに対してアルファベット・チルドレンから個性が無くなっていきました。この辺りのバランスはやはり主人公とアルファベット・チルドレンが同一人物であり10人で1人である証拠であると思いました。皮肉な話ですね。最終的に主人公が選んだのは自分自身の死ですからね。そして自分自身の死をもってアルファベット・チルドレンに人として生きる事を託した訳ですからね。本当は主人公自身が芽衣と会い芽衣を支えたかったに違いありません。ですがそれは自分自身が観測し作り出したアルファベット・チルドレンの存在によって否定されたわけです。ならば、と自らの死を選択した主人公、実に人間らしいと思いました。

 その後のアルファベット・チルドレン=ナタリアはまるで生まれたての人間の様でありながら五次元世界で鍛えられた身体能力と頭の回転で人間とは程遠い存在でありました。ですが芽衣の人類を救済したいという思いとそれを引き継いだ化物であるはずの島地の行動を見て、やっぱり自分とは違う存在だと思ったのでしょうね。最後に主人公を五次元世界へと引きずり込もうと足掻いていましたが、結局それもかなわず最後に一人再び五次元世界へ帰る事を選びました。あの辺りのナタリアの一連の行動には一見人間らしい様子は見れませんでしたが、それがナタリアの寂しさの裏返しであるという事に気づけばやはりナタリアも結局は人であり他者がいなければ生きてはいけないという事の表れだと思う事が出来ると思います。結局は何も問題はありませんでした。主人公もナタリアも、最後には人としていられたのですから。

 この追加エピソードをプレイして再度本作をプレイしたくなりましたね。ナタリアの生い立ちを知ってから注意深くシナリオを読んでいくと、また新たな発見がありそうです。人は人と関わらないと生きてはいけない。この重い命題を別の視点で表現した今作であるAve Maria、合わせてJ.Q.Vの疑問点も解消してくれて最高の追加ディスクであったと思っております。ありがとうございました。


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