M.M ボクの唄


<生とは何か死とは何か、失った立場の中で本当の大切なものを探す物語>

 この「ボクの唄」という作品は同人サークルである「silvervine」で制作されたビジュアルノベルです。C83で同人ゲームの島サークルを巡っている時に手に入れた作品で、この時はまだ他にも入手した作品の1つ程度の認識でした。ですが未プレイの同人ゲームの整理をしている時にパッケージの屈託のない笑顔に手が止まり、プレイするに至りました。感想ですが、生と死という相見える事のない立場の中で本当に大切なものを探す物語に深く考えさせられました。

 公式HPでも紹介されておりますが、主人公である柊ハルは過去に同級生である朝雲雪と桐生敏哉と同じ時間を過ごしてました。ですがとある事故によって柊ハルと2人の間に死という絶対的な壁が出来てしまいます。柊ハルは死してなお2人とのあり方に苦悩しており、残された2人も生きる希望を見い出せず精神が持ち堪えられなくなっております。この物語の最大の特徴は、死者は死者として魂が存在し続けるのですが生者には殆ど関わりを持つことができないという壁をどのように考えるのかという事が挙げられます。

 死んでも魂が残り続ける世界、私たちのように生きている人にとってはひょっとしたら最大の救いかも知れません。人は死ぬことを避けることは出来ません。どんな人生を歩んでも最終的に死に直面してしまいます。その為この人類の歴史の中で文化が生まれ宗教が生まれ文明が発展し、自分の遺伝子を繋いでいこうという本能が生まれたのだと思っております。そんな人類が死んでも魂は残り続けると知った時、どのような気持ちになるのでしょうね。限りある生を精一杯生きようという根本的な動機が失われた瞬間、これまで築き上げてきた価値観が一瞬で崩壊するのかも知れません。

 そういう意味で生者と死者の間には絶対的な壁が存在しているのです。ただお互いが干渉出来ないという事ではありません、根本的に魂のあり方が違っているのです。有限な時間しかないと思っている生者、無限の時間がある事を知っている死者、この事実の中で壁の向こう側のかつて想いを重ねた人に対してどのように自分の気持ちを整理すればいいのでしょうか。本作品は主人公である柊ハルの視点を中心として登場人物達の生と死に対する気持ちがむき出しにされます。プレイヤーの方にも是非自分の大切に思っている人が死んで、それでも魂が残っていると想像した時にどのように振舞えば幸せになれるのかを考えながらプレイして欲しいですね。

 プレイ時間としまして私で3時間掛かりました。この作品の特徴として生者と死者に定められている設定や登場人物たちが持っている想いが徐々に明らかになっていくという事がありますので、プレイ中色々と想像してプレイするとあっという間に時間が経過してしまうと思います。それだけ考えさせられるシナリオであり面白いシナリオであると言う事が出来ます。登場人物たちそれぞれが持っている生と死に対する考え方、それを受けて主人公柊ハルがどのような結末を望むのか、是非彼らの物語を見届けて欲しいですね。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<ヒカルとミドリ、そして雪と敏哉の別れがハルにとって本当の意味での死者のスタートでした>

 生々しい汚い感情を沢山見ることが出来ました。生者に対しての嫉妬、死者に対しての嫉妬、割り切れない想いとそれでも時間だけは経過していく事実、死に対する考え方のぶつかり合いやそれに伴う後悔まで、ありとあらゆる気持ちが溢れておりました。救いや幸せなんて無いのかもしれない、それでも前に向かって進んでいく事の大切さを教えて頂きました。

 物語全体を通して私が一番心に刺さったのは「自分の記憶が消えていく様子を見続けるしかない」というセリフでした。生者は歳をとり肉体的に時間が変化していきますが死者は死んだ時のまま肉体は変化しません。何よりも時間の流れがありませんので、生者がどんどん自分が知っている姿から変わっていく様子をただ見続けるしかないのです。人の記憶や想いというものは時間の流れと共に変化し風化し忘れられていきます。そして新しい出会いが新しい想いを生み、これまでの記憶や想いに取って代わっていきます。でもそれは仕方のないこと、何故なら生者は時間が流れているからです。この時間の流れの有無が生者と死者の最大の隔たりだと思いました。

 それが分かっていたから瑠偉は徹底的に生者と関わりを持とうとしなかったのだと思います。関わりを持っても時間の流れが違うのだからいつか自分の想いは忘れ去られていきます。何よりも自分の息子であるハルが同じ死者という立場になってしまってますので、これ程時間の流れの無常さを感じることは無かったのではないでしょうか。まあ瑠偉も今の達観した精神状態になるまでには結構な日数が掛かったのではないかと思いますね。きっとハルがあの子供を産み落とした高校生に対して思っていた事は一度は通過した道なのでしょうね。だからこそ徹底的にハルに決めさせて決して甘やかすことはせずそれでも否定をしない態度を貫き通したのだと思います。

 さて、この世界のように死んでも魂は残り続ける世界が実在したとして、果たして生者と死者はどちらが幸せなのでしょうか。よく隣の芝生は青いと言いますが、両者にとってこれ程に青い芝生は無いのだと思います。私は生者ですので死者の気持ちを想像する事しか出来ませんが、永遠の時間が続くのはやはり恐ろしいと思いますね。作中でも「自由というのは途方に暮れる」と言ってました。限り有る時間でやらなければいけない事があるから人は前に進めるのかも知れません。ではその時間が無限大になったら、やらなければいけない事は無くなってしまいますね。その本質に気がつけたからこそ、ハルは雪よ敏哉にサヨラナ出来たのかも知れません。いつまでも死んだものに囚われては限りある生者としての時間を失ってしまいますからね。本当であればハルはあそこの立場にいたかったに違いありません。ですがそれは叶わないこと。それならば過去を捨てて悠久の時を生きると決めたのだと思います。

 そして死者に関わったヒカリとミドリですがきっと彼女たちは精一杯生者として幸せになろうとすると思っております。何よりもハルと約束しましたからね、絶対に幸せになると。あの気持ちの強さこそ生者としての何よりの証だと思いました。もしかしたらヒカリとミドリのこれからの人生を見てあの時手を離したことを若干後悔するのかもしれません。ですがそれは生者と死者としてのどうしようもない壁、後悔するもしないもいつか必ずやって来る壁です。後悔したければ後悔して、そしてまた前に進めばいいのです。まだ死者としての時間が短いハルですが、今回のヒカルとミドリ、そして雪と敏哉の別れが本当の意味での死者のスタートなのかなと思いました。まとまりませんが今回はこの辺りで。


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