M.M 西暦2236年


<コミュニケーションや自分らしさについて問いかける、ビジュアルノベルの醍醐味が詰まった近年稀に見るクオリティの作品>

 この「西暦2236年」という作品は同人サークルである「Chloro」で制作されたビジュアルノベルです。Chloroさんの作品では過去に「西暦2236年の秘書」をプレイさせて頂き、近未来な雰囲気、マスコというPASSと呼ばれるA.I.秘書システムのキャラクターの可愛さ、そしてサイバーなBGMが調和して大変印象深い作品だったと記憶しております。今回レビューを書いている「西暦2236年」は「西暦2236年の秘書」の続編、というよりも本編に当たります。西暦2236年で行われているコミュニケーションの実態や主人公ヨツバとマスコの関係を理解し、その上て描かれるある少女との出会いから物語は幕を開けます。

 音声会話ではなくテレパシーで会話をすることが一般的になった西暦2236年という時代。主人公ヨツバは今日も学校の先輩であるヒメと共に実験部で様々な実験を行いながら時間を過ごしております。このヒメ先輩にはテレパシーによる会話を嫌うという特徴がありました。その為普段テレパシーで会話をしてるヨツバにとっては面倒くさいと思う節が多々ありますが、ヒメ先輩の博識さに惹かれて今日まで過ごしております。PASSであるマスコなどとともに過ごす中で、ヨツバは3年前にも同じようにテレパシーによる会話が出来なかったとある少女の事を思い出します。物語はヒメ先輩とヨツバの物語を描いた2234年と3年前に出会った彼女との物語を描いた2231年を交互に行き来することで進んでいきます。

 テレパシーによる会話のイメージは中々付きにくいと思いますが、私の中では頭の中で言葉を発せれば文字として相手とコミュニケーションをとれるような物だと捉えております。加えてそれは1対1ではなく複数人、ひいては世界中の人とコンタクトを取ることが出来ます。現代のインターネットをストレスフリー・ハンドフリーにしたようなものと言えると思います。加えて水路と呼ばれるネットワークを介することで世界中の人の景色や思考を覗くことができます。素晴らしい時代ですね。自室にいながら他人とコミュニケーションを取ることが出来るのです。昔のように手紙を送ったりメールを送ったりする事もなく、念じるだけで会話が出来ます。このような時代、社会構造のみならずコミュニケーションに対する考え方も大きく変化していると思いますね。

 しかし作中でも言ってましたが、インターネットのような散文的な情報を鵜呑みにしても正しい知識は付きません。また最低限は保証されておりますがプライバシーという概念が存在しませんので、人との距離感が掴めなくなってしまう気がします。迂闊に頭の中で思考を回転させるだけで、それが世界中にダダ漏れになってしまうということですね。音声会話では言葉を選んで口から出た言葉しか相手に伝わりませんので、知りたくないことを知ってしまうという事がありません。相手の気持ちが分からなくてコミュニケーションが上手くとれない事象は現代でもよくありますが、相手の気持ちが手に取るように分かるからこそ発生するコミュニケーション障害と言うものもあるのかも知れません。コミュニケーションとは何か、自分らしさとは何か、記憶とは何か、人間が人間らしく生活することに対する問いかけが随所に見られる作品です。

 プレイ時間は私で9時間掛かりました。この作品は途中で章がハッキリ分かれておりますので、そのタイミングで休憩を挟みやすいです。ですが実際はそのシナリオと演出に驚かされてクリックする手が止まらないと思います。この作品、ビジュアルノベルの醍醐味や面白さに溢れておりその演出は近年まれに見るクオリティの高さです。インストールしてプレイ開始し、ものの5分でこの作品の雰囲気に取り込まれる事と思います。製作者のセンスと言いますか魂がこもった作品と言えます。是非その圧倒的な演出を堪能し、彼らの行き着く先を見届けて欲しいですね。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<君は知っているだろうか。常にヨツバの味方であり常にヨツバを支えその天寿を全うしたPASSがいた事を。>

 …色々と言いたい事は沢山ありますが、その殆どが私にとってはそれ程まで意味のある言葉にはなりそうにありません。99通のメール、アカシック・フォーン、次元置換説、6402373705728000通りの世界、梅雨幾何学、アーカイヴ、心理宇宙…。西暦2236年の世界で成立している物理法則を探求する事がヨツバとハル・シオンが再開する唯一の方法でしたが、その全ての作用にマスコの存在がありました。この物語は、ヨツバがマスコと出会いマスコと共に歩みそしてマスコから自立する事が全てだったのではないかと思っております。

 まずもって作品設定に強いこだわりを感じました。素粒子理論の多世界解釈に起因する独自の物理法則とそれに倣ったシナリオ、製作者がこの分野に大変造詣が深いことを感じさせました。合わせてピアノについてもまるで自身の体験談を形にしたかのようなエピソードが盛り込まれており、ヨツバの心理描写に大変寄り添う事ができました。全ての要素に製作者のこだわりがあり、一切の妥協を感じさせないプロットに魂を感じました。

 そしてそれ以上に凄いと思ったのは、そのセンスでした。冒頭「君は知っているだろうか?」の音声で始まる動画からスタートし、OPムービー、特殊な色使いの背景、BGMと効果音の活用、2231年と2234年の絶妙な行き来、スマートツールスとPASSのイメージ、とその全てに製作者の意図するものがありました。これはいわゆる小説やドラマCD、アニメーションの類では実現できない表現方法であり、ビジュアルノベルだからこそ成し得た演出だと思っております。ビジュアルノベル=「文章」+「音」+「絵」ではありません。ビジュアルノベル=「文章 + 音 + 絵」です。3つの要素がバラバラではいけません、3つの要素が1つになるからこそ意味を持つのだと思っております。そして3つの要素が1つになる事で真価を発揮するのは演出です。何といっても製作者のセンスが求められますからね。この作品で何を表現したいのか、何を伝えたいのか、何故ビジュアルノベルなのか、そんな疑問に対するChloroさんの答えを感じました。

 そしてメインとなるシナリオですが、上でも書きましたがここまで壮大なプロットがあるとは思いませんでした。冒頭の「君は知っているだろうか?」は正直象徴的な演出でありその中身自体には特別意味はないと思ってました。ですがそれはとんでもない、まさにあの「君は知っているだろうか?」で書かれている事が全ての真実であり、それを時間を掛けてヨツバは理解していきました。時にはPASSであるマスコや先輩であるヒメの助言を聞き、1人ではたどり着くことの出来ないアーカイヴへとやって来ました。何故ここまでヨツバは頑張らなければいけなかったのか、それは勿論かつて恋をし傷つけたハル・シオンと再会する為でした。

 2236年4月1日に届いた99通のメール、それが再び物語を動かし始めました。ともすればノイズとして捨てられたかもしれない99通のメール、ですがこの99通のメールが全てのスタートでありました。同時に春紫苑も大変な苦労をしておりました。アスペクトの違う宇宙から何とかヨツバに届いて欲しいと願い、141通/h×24h×731d=2473704通のメールを出し続けました。99通届いただけでも奇跡なのです。2236年というこの宇宙のほとんどのクラウド空間中の特異点が重なる年であっても奇跡なのです。何故なら世界は18!通り=6402373705728000通りあるのですから。春紫苑の想いとヨツバの想い、これが再び二人を再開させたのだと確信しております。

 そしてそんなヨツバにはいつも傍にマスコがいました。PASSは引き込もりツールと揶揄されてました。始めはヨツバも子供っぽいプライドを振りかざしてマスコを嫌煙しておりました。それでもマスコはPASSです。絶対に主人の事は裏切りません。例えそれは人の心ではないのかも知れませんけど、自分を慕い尽くしてくれるマスコは徐々にヨツバにとってかけがえのない存在となりました。太陽嵐で一度壊れかけたマスコ、その時にやっとヨツバは気づいたんですね。どれだけ自分がつまらない事で意地を張っていたかという事に。「西暦2236年の秘書」の感想でも書きましたが、本当マスコは人間以上に人間性にあふれたA.I.だと思っております。

 99通のメールを受信できたのはマスコのおかげでした。メールの中身を解読してくれたのもマスコのおかげでした。アーカイヴへ連れて行ってくれたのもマスコのおかげでした。春紫苑からの暗号を受信してくれたのもマスコのおかげでした。何よりも、いつもヨツバの隣にしていつもヨツバの良き相談相手になってくれて時にはヨツバを怒らせたりしましたけれどいつもヨツバを見守ってくれのはマスコでした。最後は自身の寿命で二度と起動しなくなってしまいましたが、きっとヨツバはもう1人でも歩いていけると思ったから内部電池の電圧が落ちたのだと思っております。あれだけ優しいマスコです。ヨツバが立ち直れないのなら居なくなるはずがありませんね。最後の最後まで自分のことは二の次でヨツバの為に尽くしたマスコ、絶対に忘れる事はありません。

 君は知っているだろうか。心理宇宙にはPASSという個人向けスマートツールス用A.I.秘書というものがあるという事を。君は知っているだろうか。PASSは驚く程人間に似通った思考が出来るという事を。君は知っているだろうか。そんなPASSの初期型モデルに、天寿を全うするまで主人の為に尽くし続けた存在がいた事を。最後ヨツバは一度は捨てた自分自身を受け入れ春紫苑と同じ宇宙に帰ってきました。そしてそこにPASSは存在しておりません。だから私は問い続けたいと思います。君は知っているのだろうか、と。そして返事が来るまで待ち続けます。なるほど、と言ってくれるまで。ありがとうございました。


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以下は「西暦2236年 ver1.00」プレイ終了してから追記した内容です。
更なるネタバレになりますので注意願います。




































ああ、ちなみにかなり恣意的な内容ですのでご注意を。



































<人間なんてね、夢見てるくらいが調度いいんですよ。>

(2015/4/27 追記)

 ちょっと自分の話をしようと思います。私は高校の時から「物理」が大好きで、それが高じて大学は理学部物理学科を専攻しました。そして物理を学んでいく中でとりわけ「素粒子」に興味を持ち始め、それが高じて大学院は原子核実験の研究室に入りました。まあ結局は周りのレベルについていけずそのまま修士で就職したのですが、そんな経歴もあり多少素粒子原子核分野については知識を持っていると思っております。

 就職は一般企業でしたので大学・大学院で学んだことは全然活かされることはありませんでしたが、1度だけ活かされたことがありました。それは東日本大震災で福島第一第二原発がメルトダウンした時です。この時様々なメディアで「シーベルトが・・・」「セシウムが・・・」「放射線が・・・」とか言っておりましたが、普通の人にとっては何の事かさっぱり分からない訳です。ですが私はそれなりに知っておりました、そういった知識について色々と周りの人に教える機会に恵まれました。ですがその時こんな会話がありました(便宜上Aさんとします)。


A「セシウム137の半減期って短く出来ないの?」
M.M「出来ないですね。これはもう30年って決まっているんです。」
A「でも決めたのは人間なんでしょう?」
M.M「確かに決めたのは人間ですけど、決めたというよりは充てがったって感じです。」
A「でもそもそも年とかセシウムとか137とかも全部決めたのは人間なんでしょう?」
M.M「それもとりあえず説明しやすいように充てがっただけです。」
A「・・・決めるとの充てがうって何が違うの?」
M.M「世の中の物理法則は宇宙が生まれた時から決まっていて、それに対して人間がただ会話が出来るように単位とか法則を決めただけなんです。」
M.M「例えばコンピュータの進歩で天気予報の精度は上がってますけど、天気そのものは変えれないでしょう?」
M.M「これと同じで、セシウム137の半減期の精度を上げることはできても、半減期自体は変えれない訳です。」
A「それってどうしようもないって事?」
M.M「はい、どうしようもないですね。」


 たぶんAさんは現代の技術力であればセシウム137くらい人間の手で操れるんじゃないかって思っていたのだと思います。そう思うこと自体はまあしょうがないと思います。何しろ世の中の物理法則を作ってきたのは偉大なる歴代の物理学者なのですから。ニュートンの運動方程式、マクスウェル方程式、プランクの法則、アインシュタイン方程式、それら全てが人類の英知であり語り継いでいかなければいけない事です。ですが、Aさんは根本的に勘違いしていたんですね。と言うよりも、物理法則を作ったという言い方が不味かったんですね。正確には、物理法則を見つけてそれを人間が理解出来るように数式として記述しただけですからね(まあ、それが凄いんですけどね)。彼らは物理法則を「見える化」しただけで、神の様な力があった訳ではないんです。ただ、神が与えたこの世界について人間が分かるよう全て解き明かそうとしただけです。これこそが、理学の全てです。理学の相手は神が作り出したこの世の全て。神が作り出したこの世界をただ記述する事が目的なんです。

 さて、だいぶ回り道をしましたがこれが恐らく西暦2236年で言いたかった事なんだろうと思います。この世界は全てはアリスによって決められているんです。四角い三角形はないんです。ヨツバはハルの事を好きにならないんです。これは変える事が出来ない定理。不変な法則なんです。人間の手でなんてどうにも出来ない事なんです。その事実を知ってしまったら、もうあるがまま受け入れるしかないんです。恐らく最後の最後でヨツバはそれに気付いたんでしょうね。だからこそハルとの「恋愛のようなもの」の痕跡を消去したんだと思います。消去してハルに「さようなら」したのだと思います。






だいたいですね、人間ごときが生意気なんですよね。
自分達が一番知恵を持った生き物だからと言って、まるで神のように振舞ってますからね。
ただ与えられた世界を記述するしか出来ないのに、勘違いしてるんじゃねーよって感じですね。
言ってしまえば、


図に乗るな。

自惚れるな。


って事ですよ。
何が恋愛だ、何が夢だ、何が物理法則だ、何が世界の全てだ、ちゃんちゃら滑稽ですよね。
まるでおママゴトしてるみたいですね。
ただ神が作ったこの世の法則に従って粛々と生きていればそれでいいんですよ。
自分達の能力を過大評価して「俯瞰」する事すら忘れるなんて、どんだけ頭悪いんでしょうかね。
いや、頭悪いんじゃなくて頭弱いですね。
弱すぎ。

この程度が人間の限界なんだから、アーカイブなんて見せちゃいけないんです。
自分達の事を絶対って思ってる人間に、アーカイブなんて見せたらその自信を壊しちゃいますからね。
生きる気力なんて無くなっちゃいますよ。
だから、アーカイブなんて知らないで、精々自分達の英知(笑)を信じて世界の法則についてチマチマと解き明かしていればいいんです。
その程度のレベルで夢見てるのが、お似合いなんですよ。
ほれ、アーカイブなんてみせちゃったから、もう絶望しちゃったじゃないですか。
世界の全てなんて見せちゃいけないんです。
夢、見れなくなるじゃないですか。
そうなったらもうおしまいですね。
人間終了ですよ。
折角アリスが隠したのに、自分で勝手に掘り起こして自分で勝手に絶望するなんて、本当頭弱いですね。






 ・・・理学って、本当全てを解き明かしてしまったもう終わってしまう学問なんですよね。悲しいですけど、これが現実なんですよね。でもまあ、この世の物理法則が解き明かされる日なんて早々来ません。だって、まだまだ宇宙には謎が沢山あるじゃないですか。宇宙の始まりはどうなっているのでしょうか?地球以外にも人間のような生命体はいるのでしょうか?そもそも地球の中心はどうなっているのでしょうか?幽霊って、ほんとうにいるのでしょうか?人間の遺伝子って操れるの?タイムマシンって作れるの?どこでもドアって実現できるの?永遠の命って手に入れられるの?



ほらご覧なさい!
この世にはまだまだ分からない事が溢れてるじゃないですか!
休んでる暇なんてないですよ!
神が作り出したこの世の定理、どんどん解き明かしていきましょう!
いやいや、夢が膨らみますね!
楽しいですね!



やっぱり夢を持ってこそ、人間ですよね!!!!




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